罪悪感の反対側にあるもの



マハラジのキンドル本を、数日ぶりにパラパラとめくっていたら、こんな言葉が目に入りました。


愛とは意志だ。
すべてとともにあなたの幸せを分かち合う意思なのだ。幸せで在ること、幸せになること。これが愛のリズムだ。
~マハラジ



自分のこれまでの体験から、愛の対極にあるものは、罪悪感だと思うのです。

私の場合は、自分の現状を、誰かのそれと比べてしまったときに、その感情が芽生えていました。

親孝行をしている人を見れば、年老いた親と離れて暮らしている自分を責め、裕福な専業主婦をしていたときは、遊んで暮らしてることに罪悪感をもち、離婚したことで子供に対して申し訳なく思い、その後も、ガンガン働いてないのに母子で楽しくやっている自分は、ダメ人間なんじゃないかと思ってみたり。

幸い、今はそれが多発することもなくなってきました。
自分を責めている声の正体に気づいたからです。

そして、年齢を重ねてきている恩恵の一つとして、ジャッジすることの無意味さが実体験として分かってきたから。

たとえば、長くつきあっている友達や知人を見て、

超裕福な家庭の子供たちが必ずしも幸せでないとか、
仲の良い家族が実は崩壊していたりとか、
成功したのに満たされなくて苦しんでいたり、
どん底から見事にV字回復して、幸せいっぱいになっていたり。

いろいろな生き方があるし、やはり、幸せになるカギは、何が正しくて正しくないかということではなく、前向きに生きる心の在り方だと思うのです。エイブラハム流に言えば、アライメント。

そこに罪悪感は、ありません。

罪悪感は、自分はダメだよなぁ。。。と自分を責めてしまうこと。自己愛の欠片もなく、素晴らしいものを与えられても、自分には受け取る価値すらないと思ってしまう、とても辛い状態です。

自己愛というものがよく分からなくても、そんなふうになっているときは、少なくとも、『自分を責めるのをやめる』ことが大切。

そうやって少しづつ自分が満たされてくると、他人と比べることもなくなってくるし、愛の波動が生まれてきて、無条件の愛をどんどん受け取ることになります。

こんなに受け取っていいの!!??と思うような状況になっても、罪悪感は生まれない。しかも、他人と比べることがないので、心が穏やかに満たされてきます。

そんなふうに、受け身のままでいても罪悪感が生まれないのは、新たに行動するエネルギーが湧いてきたり、エネルギーに満ちた人を引き寄せて、愛ある体験をしてゆけから。。。

今の私は、そんな場所に、なんとかたどり着いた気がします。
(たまに自己嫌悪に陥るけど)






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