義務教育が終わった日



高校の卒業式が行われるはずだった日に、生徒たちは閉鎖されている学校に呼ばれた。

規制があるので、近所に住んでいる生徒以外は自動車で。

ドライブスルーみたいに駐車場に一列に並び、両側におかれたテントの下では、マスクをつけた先生やスタッフがせっせと動き回っていた。

それぞれのテントで停車して、卒業の記念グッズや、ロッカーの中に置いたままの所持品やらを渡されたり、借りていた図書室の本を返す、等の手続きをする。

深く考えることもなく、私の運転で、息子が助手席に座って行った。

駐車場に着いて、何人かの友達がそれぞれの車の中から息子に声をかけてきたときに、彼はとつぜん、我が身を恥じた。

お母さんの運転で来ていることに。。。笑
自分がまだ仮免で、一人で運転できないことに。
視界に入る車を運転してるのは、みんな生徒本人だという事実に。

アメリカにおけるZ世代のティーンは車離れが激しくて、なかなか免許を取りたがらないというのは本当であっても、とりあえず免許を持って運転できる子の方が大半だと思う。たぶん、親だって背を押してるはず。

こんな私たちを見ても、友達や先生たちは、別にドン引きするわけでもないし、たとえそうであっても気にしないものの、少しばかり焦ったのも事実で、

自分がとんでもなく過保護な親で、息子はさっさと免許を取らないナマケモノ。。。。

じわじわっと後悔、反省、焦り、そんなものがやってきた。

しばらくすると、清掃係りのおじさんと、交通整理のおじさんが駆け寄ってきて、開けた窓越しに、はちきれんばかりの笑顔で息子に声をかけてきた。おじさんたちは、私に向かって、息子のことを、あれこれ褒めてくれて、私たちの気分もまた上昇した。

次のテントに行くと、息子に授業を教えていた先生たちが、やはり同じように息子にあたたかい声をかけ、私に向かって、またまた彼を褒めまくってくれた。

最後に校長先生がやってきて、息子に優しく声をかけたあと、私に向かって言った。

お母さん、あなたの息子君のこと、ここで自慢していい?

自慢という言葉に笑うと、校長先生は、途方もなくあたたかい言葉を贈ってくれた。

それは決まり文句でもお世辞でもなく、息子をよく見てくれている人だけが知っている、的を得て深く前向きな言葉だった。2000人の生徒たちを見守る校長先生が、息子の『ありかた』を全肯定して、リスペクトし、心に残るような言葉を投げかけてくれたのだから、ウルウルと涙が出た。

彼なら大丈夫!
どこに行こうと、必ず成功するよ!
卒業おめでとう!

と最後に言って手を振ってくれた校長先生に感謝でいっぱい。

もちろん先生たちは、生徒一人一人にそんなふうに温かい声をかけて、送り出してくれたのだ。コロナで残念なことになったね、なんていう同情の言葉はひとつもない。そんな部分もありがたかった。

校長先生が言った、成功という言葉が、何を意味しているのかはよく分からない。

大学での成績とか、就職先とか、そのうちに高収入を得るだろうという意味でのサクセスなのかもしれないし、前向きで、勤勉なところを指しての、人格的なサクセスなのかもしれない。

でも、親バカなことを言わせてもらうなら、彼はもう、ちゃんと成功していると思っている。

私にとって、それは、愛と感謝を知り、つねに前向きな心を持つこと。高い波動がデフォルトなこと。前進するために、手放せること。不安ではなく、希望の波動の中にいること。周囲ではなく、自分の中の声を聞けること。

それを思い出したとき、ほんの10分前まで、いまだに仮免の息子や、それを許してきていた自分を責めていた自分を思いだして、
即効で反省した。

そもそも、17歳でまだ仮免という事実は、世界のほとんどの場所では不都合でもなんでもない。カリカリと焦ることなんてひとつもない。
この世の中にはいくらでも選択があるし、それは問題でもなんでもない。

もちろん、問題は直視するべきであり、ちゃんと解決してゆくことは大切。だけど、問題と思っているものは問題でないこともあるし、手放した方がうまくいくことだって多い。


その夜、元夫から連絡があり、免許の実技試験にそなえて、プライベートのドライビングインストラクターを予約してあると言ってきた。私が教えたりしなくても、プロに教えてもらえるのだから、あれこれ焦らずとも、問題はほぼ解決していたことになる。(なんでもっと早くやらなかったのという話でもあるが)

ということで、毎朝のお弁当づくりも、車の送迎も、みーんなオシマイ。義務教育の子育て終了!

まだ実感がわかないし、手放すのはイヤだとも思っている。
母親として、たくさんの後悔もあるし、反省もある。何が正しかったのかも分からない。だけど、喜びの方が多かった。だから、やっぱり感謝しかない。

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