愛に年齢や時間など関係ない


私には、50代で出会って幸せな再婚をした女友達が日米あわせて数人いる。相手はみんな誠意もキャリアもあるダンディな人たちで、ドタバタ感のない夫婦関係から、しっかりと幸せ感が伝わってくる。年齢にとらわれない生き方は素敵だと思う。



4年くらい前に招待されて行った、高級カントリークラブの結婚式では、新郎新婦がともに60代だった。私は彼らと面識がなかったので、きらびやかなドレスを身にまとっているフランス人の新婦を見たときにさすがに驚いてしまったが、幸せに包まれた彼女は、とても美しかった。

相手は、現役の弁護士さん。披露宴には互いの子供や孫たちが同じテーブルに座っていた。40代くらいの子供達が、親の幸せを喜んでいる、とても素敵なウエディングだった。

一方で、私自身は、どうなるのだろう。

私は、今、もっと大きな意味での愛と感謝の中に浸って暮らしていて、愛と感謝に満ちた現実を受け取っている。ごく自然な法則にのっとって、受け取る愛のクオリティが、これまでにも増してピュアなものになってゆき、その勢いには驚かされるばかりだ。

そんなにたくさんのものを受け取る必要がないために、ドアを閉ざしているというのに、ノックの音が絶えない。

時間も場所も、関係ない。遠くにいる人。普段なかなか会えない人。そして、大昔の記憶から抜け落ちた人たちが、私に愛を送ってきてくれる。私への思いが、損得を計算したものであったり、エゴにまみれた執着であったら、そうした思いは私のもとには届かない。病的なほどに復縁を願う人が、なかなかそれを現実化できないように。

20代の頃、当時住んでいた外国で私に求婚してくれた人が、たまたま海を越えてこの地に来ている。何年間も、再会したいと言われ続けていたけれど、私はなんとなく断っていた。過去に未練は全然ないから。

友達は皆、口をそろえて、会うべきだ、と言う。もちろん、無責任な興味半分で言っているのだけど、これも体験だと思えば、受け取らない理由はない。それで私は、今回は会えると返事した。

彼はこの地に辿りつくなり、2時間半かけて運転して、私に会いにやって来た。

気が遠くなるほどに長い時間を経てから再会する、という体験は、生まれて初めてのことかもしれない。顔を見たときに感じたことは、嬉しさや懐かしさではなくて、奇妙な違和感でしかなかった。

でも、会話をはじめてしばらくしてから、少しづつ、二人で共有した、きらきらとした宝物のような過去のことがいろいろと蘇ってきた。あのときの彼には、感謝しかなかった。

彼のボルテックスに、ずっとずっと長いこと、私は放り込まれていた。それは、ずっと分かっていた。私にとっては、とうの昔に葬ってしまったことだったけれど、彼がとうにエゴを捨て、条件もなくひたすら慈愛を送ってくれるものだから、現実が動き、およそ奇跡的なめぐりあわせとタイミングで、こんな再会をしたのである。

彼には成人した子供達がいるが、相手とは結婚しなかった。こんなに長い間私を忘れることができず、今でも愛情を持っていて、これからも消えることがないのだ、と言って涙ぐんだ。

仕事は大成功を収めて、経済的な富を築いた。だから、私に彼がいると知っていても、自分なりに与えることができれば、幸せになれるのだと言う。でも、私はすでに十分に与えられているし、もっと軽やかな空気の中で昔話を楽しむのかと思っていただけに、食事をしながらげっそりと疲労してしまった。

彼は私の息子をも心配してくれる。息子の好物のゴディバのケーキを買い、封筒に入ったカードと一緒に押し付けるようにして、私達はバイバイしたのだけど、帰宅後に開けてみたら、まとまったお金が入っていた。

それからまたメッセージが来て、困ったときに連絡をくれれば、すぐになんでも、手配をする、とあった。またすぐに会いに来たいとあった。

つづく



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