90代のオシドリ夫婦ー認知症も回復



アメリカ人の高齢者にはオシドリ夫婦が多い。中高年のカップルが手をつないで仲良くスーパーに行ったり散歩したり、ディナーに行ったり映画に行ったりという姿を毎日あちこちで見かけて、なんとも微笑ましくなる。生涯かけてたった一人のパートナーだけを愛する夫婦がベイビーブーマー世代ではちっとも珍しくない。


知人が、そろそろ100歳に近い年齢のご両親の話を聞かせてくれた。
彼らのことは、かつて3日坊主で終わったブログにちょっと書いたことがある。

当時、夫婦はそろって95歳。
お父さんの方はまだまだ元気で、1人で飛行機に乗って他州にちらばる子供達(70代)に会いに行くこともできた。普段は妻の世話を焼いて過ごしていた。朝起きて、妻が着る洋服をベッドに並べ、髪をとかしてあげたりする。想像すると、微笑ましい!

妻の方には、少しばかり認知症が出てきた。それで子供達は心配になり、2人を介護施設つきの老人専用施設に移した。

2人部屋に入居して、お父さんの方が相変わらず妻の世話を続けた。こき使われていたわけではなく、それも生きがいだったのだ。なんて素敵な旦那さんだろう。

しかし、施設のマネージャーをしている長男が、彼らを引き離すことに決めた。

お父さんは少し離れた別棟に寝泊まりしなくてはならなくなった。日中は一緒に過ごすことができるけど、夕方になったら自分の部屋に戻らなくてはならない。

お母さんは1人で寝ることに慣れていないものだから、自室に戻って行くお父さんの後ろをトボトボとついて行ってスタッフに注意され、連れ戻されたりしていたようだ。お母さんは寂しがって泣き始めた。私はその話を聞いて胸が痛んだ。知人も顔を曇らせて、兄のやり方に納得できないと言っていた。

それから2か月。

なんと、お母さんの認知症が劇的に回復した!

お母さんは物忘れがピタリととまり、記憶もほぼ正常に戻り、認知症のフリをして来客をからかったりしはじめた。お父さんが夕方に自分の部屋に帰ってゆくのを止めることもせず、自立心が芽生えてきたという。その回復ぶりには周囲が仰天していた。その話を聞いた私も、ちょっと驚いた。

あれから3年。

彼らのライフスタイルは変わっていない。

今日になって、施設のマネージャーをしているお兄さんが、家族みんなにグループメッセージを送ってきたそうだ。タイトルは、おやじの一番悲惨な日。

その内容は、こうだった。

この日はお父さんが昼近くにお母さんのもとにやって来たが、部屋には誰もいなかった。スタッフにお母さんの居場所を尋ねると、リビングで男を追いかけまわしていると笑っていた。とある男性入居者のあとを、ついてまわっていたらしい。

もちろん病的に追いかけまわしているわけではなく、なんとなくついてまわって、一緒に会話をしているだけで、相手もまんざらではないようで、スタッフたちから見れば微笑ましいものだったのかもしれない。

お父さんが慌ててリビングに入ってみると、彼らは2人並んで座り、お母さんは老人の膝に手を置いて、なにか必死に慰めていた。人生相談にのっていたのだ。

お父さんは、その姿を見て、ガーンと打ちのめされてしまった。
自分の愛する妻が、他の男の膝に手を置いているぅ?

お父さんは紳士である。喧嘩をおっぱじめるわけでもなく、ずっと、しょぼんとしていたそうだ。もうすぐ100歳になるのに、ずっとオシドリ夫婦なのだ。この年代の夫婦愛には感動させられることが多々ある。

お母さんが、とても幸せな人生を送っているなぁと思わずにはいられなかった。



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「ザ・シークレット」でもお馴染みジョン・グレイ博士の大ベストセラー本。一度は読んでみるべきお薦め本。

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その年齢にもなると、本当に大切なものは、手に余る富よりも、愛する相手を大切にしたいというピュアな愛情と健康ではないだろうか。

フロリダに住む90代の女性が、宝くじで日本円にして311億円も当てたものの、お金を管理した息子とファイナンシャルアドバイザーが投資で全額失ったということを受けて彼らを訴えた、というニュース記事を先日目に下。

なんてむなしい事件だろう。

彼女は、もともと自分のものでもなかったお金を失い、そして息子までをも失ってしまった。果たして、そこまでの巨額な富が必要だったのだろうか。


同じく90歳にして、巨額の富を持った老人がいた。私の知人の知人だった。

この街の一等地の、海を見下ろす広々とした超高級コンドに住んでいた。年下の妻は、癌で急逝してしまい、老人には身寄りがいない。

一人暮らしは無理なので、看護師と料理人が同居していた。ヘルパーや運転手が日替わりで来る。コンドの管理費だけで年間500万円ちょっと、介護スタッフたちの費用はまとめて年間1000万円ほどしていたが、会計士が財産を管理していて、何の問題もないようだった。老人はもはや一人で歩くこともできなかった。普通に会話をすることも無理。

ときどき、床屋に行き、帰りにはアイスクリームをみんなで食べる。私も誘われて一緒に食べに行ったことがある。彼のもとで働く介護スタッフたちは、みなとてもしっかりしていて、親切そうに見えた。

彼にお金がなかったらどんな人生になっていたのだろうと想像すると、少しばかり怖くなったが、それ以上にお金があったところで、何に使えたというのだろう。買い物も食事も無意味である。

それよりも、愛する人を失ってしまった悲しみを想像すると、胸が痛くなってしまった。





前述した愛妻家の100歳近いあのお父さんは、去年、自己出版で本を出した。シンプルなデザインの薄い本で、書店に置くのが目的ではない。

必要な数だけプリントして、大勢の家族や親せきに配った。そこには、自分や妻の生い立ちや、結婚してからのことが詳しく書かれていた。子供や孫、ひい孫たちに伝えるためだ。なんて素敵なギフトだろう。

一番最後のところに、息子である、私の友達の名前が出てきた。

「2018年の春に、息子他州から会いに来た。私がもう運転するべきではないと言う。私も、それには賛成だ。息子は、私にまとまった現金を渡して、私から車のキーを取り上げた。人生で、最も悲しい日であった。」

羽をむしられたような不自由さと寂しさに襲われたことは想像できるが、なんだか苦笑いしてしまった。それが本の最後の文章だなんて、ちょっとひどい(笑)私の友達である「息子」が気の毒。。。


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